2009年03月16日

産経の報道−七生養護学校事件地裁判決(再追記有)

捜索願−産経新聞読者の方へ(2008年02月26日)の続き。産経、今度は、ちゃんとwebにも載せたか…と言いたいが、てめぇん所への訴訟は棄却だからじゃないんだろな?(苦笑)
[以上、2009-03-13 00:23]

「【主張】性教育 過激な内容正すのは当然」@産経新聞を保管。
ぐだぐだぐだぐだ見苦しいったらねぇな(苦笑)
[以上、2009-03-14 11:54]

「【産経抄】3月16日」@産経新聞を保管。
見苦しい通り越して微弱電波ユンユン。「やれやれ」は、こっちの台詞だ(苦笑)
 
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posted by ナナシ=ロボ at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | マスコミ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

気になったので質問、質問〜チベット問題資料館

ご存知の方も多いかと思いますが「メルマガ『珍左翼語録』附設部落」ってblogが有ります。一言で言うと共産趣味なblogなんですが、データ重視で興味深いネタも多く愛読させてもらってます。

さて、そこで昨日、こんな記事が載りました。

大西広「チベット問題とは何か―“現場”からの中国少数民族問題」

えー、「農奴の怒り」紹介、おめでとうございます。それと「ネットで検索してほしい(大意)」ご愁傷様です(苦笑)

それで、記事の「農奴の怒り」へのリンクからの「チベット問題資料館」「チベット侵略解放を賛美する日本共産党機関紙『われらの世界』」が、ちょと気になりました。と言うのも「われらの世界」は、日共単独の機関紙ではなく民科が発行していたんですね(参考)

ちんころくさんへの質問の前提としては、これで充分かもしんないですが、そんではウチのblogの読者が置いてけぼりなので(笑)もう少し続けさせてください。

まず戦前に「プロレタリアート科学研究所」が発行していた「われらの科学」って雑誌が有りまして、それを戦後46年に民科こと「民主主義科学者協会」が復刊させたのが戦後版「われらの科学」です。民科は、"科学者"と謳ってますが、当時の左系文化人はこぞって参加しました。で、俺にも書かせろ。本の名前が「科学」だと俺の専門分野は載ってなさそうで読者が気が付かん。何より新たな読者の獲得だ。話題を増やすぞ。部数拡大だと大変にかまびすしい状況になりまして、復刊わずか9ヶ月後の47年に「われらの世界」に名前を変え、同時に出版社も規模が大きな所に変更されたと記憶してます。(参考)

で、件の記事は1950年。「筋幅論争」「安保総括」「勤評闘争」などで拡大していく一方の社共対立は遥かな未来。日共が「五十年問題」から内ゲバを始めるにも、まだ少し時間があったこの時期。民科は日共が独占する組織ではありませんでした。片山内閣の失敗による前年49年の総選挙での社会党の大敗北とその後の左ターン。共産党の躍進。「逆コース」も匂い始め、この時期の左系文化人は、まだまだ「団結(失笑)」していたのです。(このセンテンス、単語がまるで判らんという若い衆も居るだろうが、わざとそうしている。ググれ。学べ。愚者の歴史に学ぶんだ)

とまあ、この様な状況下で発行されていた「われらの世界」を「日本共産党機関紙」とする何か別の事情が有るなら教えて欲しいなぁと思いまして。いやもう自分でも嫌になるくらい瑣末な事なんですが(苦笑)ちょとT.Bで質問させて戴いた次第です。
 
posted by ナナシ=ロボ at 20:17| Comment(2) | TrackBack(0) | "チャイナ"に生きる人々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする