2009年01月02日

ウクライナ大使館・意見広告

872 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 19:42:59 ID:???
12/26(金)の読売朝刊を読んだんだが、スターリン体制下でのウクライナ人虐殺に関するウクライナ大使館の半面意見広告が載ってるな。
日本が関わらない問題に関し、この手の広告が日本メディアに載るのって極めて異例だね。

ロシア国内でのスターリン礼賛の風潮の復活に危機感を抱いているのは十分承知してたが、ここまで切実だとは思わんかった。
彼らにとっちゃ日本は歴史的経緯からも経済力からも頼りたい相手なんだろうな。


873 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 19:54:07 ID:???
872追記。
自分が確認したのは読売だけだけど、他紙でも載ってるとこはあったのかなぁ。
情報キボン。広告に関してはネットじゃ調べようがないからなぁ…。

何が問題かってウクライナ大使館公式で一言も触れてない上日本語がひでぇw。
常設コンテンツの和訳の時点で志半ばにして力尽きてるのはどうかとw。


874 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 20:02:06 ID:???
日本人雇えばいいのにな・・・w


875 名前:ロボ-7c7c ◆Robo.gBH9M [sage] 投稿日:2008/12/27(土) 20:17:48 ID:???
俺も>>872読んで、ウクライナ大使館のページを見てのけぞりました(苦笑

それと、ググル・ブログ検索で“ウクライナ”を調べたけど、その広告に触れてる人が誰も居ない。やっぱ、関心ねーかー(苦笑


876 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 20:27:38 ID:???
朝日は載ってなかったかと


877 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 20:33:25 ID:???
>>875
なんつーか大使個人のツテを頼るとか手はあるだろと思うんだよな、あのサイトw。
KGBや旧ソ連外務省の出身者探せば日本語の達人には事欠かない国だと思うんだが。
完全に業者委託の第三世界零細国の大使館サイトの方が出来が良いのはどうかと。

おまけに虫食い状にコンテンツ作ってあるんで、日英ウの三ヶ国語駆使しないと全容が掴めないw。
読売に広告出す予算の100分の1でいいから公式HPに費やしてくれ…。


┏┫ ̄皿 ̄┣┓<よぅがす。
ウクライナ大使館に意見広告を電子化する余裕がないと言うなら、アッシがネットに流通させやしょう。ただし、俺は、このウクライナ政府の意見を支持も否定もしない事を申し添えておきます。
また、この広告を読売新聞以外で見掛けたという方が居られたら情報お願いします。

UNI_0885.JPG

ウクライナの歴史における悲劇
多数の犠牲者を出したホロドモールは永遠の記憶と世界の認識に値する


ウクライナは国際社会とともに、75年前に起きた国家的悲劇の犠牲者に対し、追悼の意を表します。

いかなる国の歴史においても、その結末がその後の国の発展に深い影を落すだけでなく、民族の記憶に刻まれ続けるような悲劇的な出来事というものが存在します。にもかかわらず、そうした出来事の中には何年、何十年経った後でも恐怖を覚えずには思い出すことができないものがあります。犠牲者の数の甚大さと、成された事が余りにも悲惨だからです。まさにこのような悲劇をウクライナは乗り越えてこなければなりませんでした。それは、ウクライナではホロドモールと呼ばれ(飢餓による処刑)、世界では「大飢餓」または「恐ろしい飢え」として知られるようになりました。

時は1930年代、まだ自らの国家を持たなかった当時、ウクライナの人々はスターリンの全体主義政権により実行されたジェノサイド(集団虐殺)の犠牲となりました。「ジェノサイド」という言葉をこの世に生んだR・レムキンは、1944年に書いた「ウクライナにおけるソビエトのジェノサイド」という論文において、ホロドモールをジェノサイドであると明確に定義しています。科学者の調査によると、ウクライナとウクライナ民族が大半を占める北コーカサス地方において、1932-1933年のホロモドールは数百万の人々を餓死に至らしめ、その3分の1は子供であったと報告されています。この悲劇はウクライナの農民を屈服させ、ウクライナの民族的な基礎を破壊する目的で詳細に計画された行動の結果として起きたものです。その頃、農民はソビエト・ウクライナの全人口の約8割を占めていました。したがって、ソビエトの権力はウクライナ人の反抗およびウクライナ独立の脅威から自らを守ろうとしたのでした。

当時、大規模な飢饉が旧ソ連邦の他の地域、すなわちボルガ川流域やカザフスタンでも発生し、無数の命が失われた事が知られています。

ウクライナは旧ソ連邦のこれらの地域で飢饉が起きた事実を否定したはありません。スターリン政権の犠牲者の追悼を拒否したことも決してありません。その証拠に2003年の国連加盟諸国による共同宣言およびユネスコ第34回総会での決議はウクライナの提案によるものであり、この宣言及び決議において、ウクライナのホロドモールとソ連の他の地域で起きた大規模な飢饉の犠牲者への共感が表明され、今後同じような悲劇を繰り返さないため、1932年から1933年にかけて起きた出来事についての調査を行い、その真相を明らかにすることが国際社会に訴えられました。

さらに、ウクライナのホロドモールとボルガ地域やカザフスタンで起きた飢餓とは異なる性質のものであった事を指摘しておかねばなりません。これらの地域では、飢餓は工業化の無責任な加速、富裕農場の解体、集団農場からの収穫穀物の没収といった社会的要因によって引き起こされました。

しかし、パンの備蓄割当に従わないことへの戦いというスローガンの下で、ウクライナの農民だけが1932年から1933年の冬に全ての備蓄食料を没収されました。一粒の穀物すら、ジャガイモ1個、リンゴ1個たりとも残されませんでした!

ウクライナの農民だけが、飢餓に陥っていたウクライナを離れ、パンを求めて近隣の村やロシアやベラルーシの町に行くことを許されませんでした。ウクライナの境界に沿って封鎖網が敷かれ、秘密警察や警察の部隊が監視を行っていました。ウクライナの160地区を超える800以上の農村がいわゆる「ブラックボード」に載せられ、これらの農村からあらゆる備蓄食料一切を没収し、完全に孤立させ、飢餓ゲットーにする事が目標とされました。スターリン政権のこうした徹底的行動計画により、数百万の人々が飢えで命を落しました。

この2年間のウクライナの死亡率はソ連の他の地域の12倍に上りました。

ジェノサイド政策を間違いなく実行するべく、スターリン政権は穀物収奪の過剰なノルマに異議を唱え、飢えで苦しむ農民を救おうとした党やソビエト指導者に対し、残酷な弾圧を決行しました。

論理的には次のような疑問が次々と浮かんできます。なぜ全体主義体制の行為はウクライナに対してあれほどまでに残酷だったのか。なぜソビエトの権力は飢えで苦しむ農村を救わなかったのか。なぜ共産党員はウクライナには飢餓が存在しないと公言したのか。なぜソ連は国際的な人道支援を受け入れなかったのか。なぜ餓死が広がるウクライナの農村に何万の人々がロシアから移されたのか。

この行動を通じて、ソビエト権力は集団農場化の実行と工業化のための資源の確保という社会経済的目標を遂行しようとしただけではありません。主たる目的は政治的なものでした。ウクライナの民族的アイデンティティの基礎を破壊し、民族自決の願いを抑圧するためです。ウクライナ人の国家再生の運動を率いてきたのは知識階級であり、彼らは人々から、中でもまずは農民から力を得ていたのです。

ここで、その数年前にスターリンがこのことに関連して書いた文を紹介します。「農民軍の土台無くして国家運動は影響力を持たない。国家問題は農民階級の問題である。」ウクライナの復興やいかなる独立の試みは農民なくして実現できないということはクレムリンでは周知の事実でした。したがって、独裁者はウクライナの農民を攻撃対象と位置づけたのです。ホロドモールが実行される以前、スターリンは同志カハノヴィッチに宛てて、ウクライナの農民問題について次のようなメモを残しています。「ウクライナの問題は非常に深刻だ。(中略)ウクライナを失うかもしれない。」

まさにこれと同じ政治的要因がスターリン政権による恐怖の根底にあり、ウクライナ中産階級のナショナリズムに対する戦いという名目の下に弾圧が開始されたのです。

1929年、いわゆるウクライナ解放連合の参加者に対する裁判が開かれました。エンジニア、大学教授、及び学者700人以上が反逆やウクライナ共和国の独立実現を企てた罪に問われたのです。その後、恐怖の波は学術機関や文芸雑誌、劇場、出版社を飲み込みました。そして、知識階級を代表する者やウクライナの聖職者のリーダーらを手始めに3万のウクライナ人が弾圧されました。

したがって、ウクライナのエリートに対する政治的抑圧とホロドモールは、いずれもウクライナ国家と歴史、文化、言語、そしてまさに人民の生命に対するスターリン政権の組織的な闘争にとって不可欠な要素であるとみなすべきです。スターリンのウクライナへの攻撃が頂点に達したのがホロドモールであり、数百万人の犠牲を出す悲劇となったのです。

起きた出来事の恐ろしさを強調することで、我々はいかなる国に対して恨みを表そうとは思っていません。

我々の任務は、我々の歴史のページからイデオロギーにまみれた層を取り除き、教訓を学び、わが国の良心の解放について知ることにあります。

我々の目標は、人為的なホロドモールの犠牲となった数百万の同志の死を追悼することにあります。

だからこそ、1932-1933年のホロドモールの記憶が今日のウクライナでこれほど完全によみがえったのです。

だからこそ、ウクライナ議会は2006年11月にホロドモールをジェノサイドと認める法律を採択しました。

ウクライナは博愛と人道主義に対する罪への警告として、自らが苦しんだ痛みについての歴史的な記憶を継承しています。我々は、ホロモドールをウクライナの人々に対するジェノサイドであると法律的及び政治的に認め、あるいはこの罪の犠牲者を追悼した世界19ヶ国に対し、感謝の意を表します。そして、2008年の欧州安全保障協力機構議員会議とヨーロッパ議会において、1932-1933年のホロドモールを非難し、犠牲者に同情の意を示す決議が採択された事に歓迎の意を表します。またこの問題に関するユネスコの決議を評価します。

我々は、人類の歴史におけるこのような悲劇的な1ページを追悼することの重要性を理解する他の国々や国際機関が、ウクライナのホロドモールを認知する輪に加わる事を希望しています。

歴史に付いての健忘症は悲劇の再来をもたらします。事実の捏造は皮肉的な神話を生みます。良い出来事であれ悪い出来事であれ、歴史の全ページを正直に記憶することによって、はじめて次世代に警告を発し、苦しみや取り返しのつかない過ちから彼等を守ることが出来るのです。
posted by ナナシ=ロボ at 17:21| Comment(3) | TrackBack(0) | ロシアと旧ソ連邦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>アッシがネットに流通させやしょう
心意気は買うがPV数を見ると何かこう
生暖かい感情が込み上げて来る

あけましておめでとうございます
Posted by 名無し三等兵 at 2009年01月02日 22:54
新年早々、ガスの元栓止められたりして、切羽詰まってるのかねえ
Posted by 名無し三等兵 at 2009年01月02日 23:24
 が・・・・・ガンガレ・・・・^^;
Posted by へち at 2009年01月03日 19:09
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