2009年01月12日

【ナイルの風 中東のまつりごと】(15)少数派コプト教徒

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□「融和」に潜むムスリムとの対立
■流血の主役は市民に移った
エジプトに根付くキリスト教の一派、コプト正教会は1月7日、クリスマスを迎えた。カイロ中心に近いアッバーシーヤ地区にある聖マルコ教会ではクリスマス・イブの6日深夜、コプト教会の教皇、シュヌーダ3世が恒例のミサを執り行い、地元コプト社会の有力者や1000人を超える一般の信徒たちが続々と詰めかけた。

今年のミサには、ムスリム(イスラム教徒)であるムバラク大統領の次男で、与党・国民民主党(NDP)の幹部ガマールが出席し、翌7日にはイスラム教スンニ派最高学府、アズハル機構の総長、タンタウィーがシュヌーダ3世を表敬訪問するなど、体制側はこうした機会をとらえ、「宗派間の融和」を重視する姿勢を強調する。

「信教の自由」を憲法にうたう現代エジプトにとって、人口(約7500万人)の10%程度とされるコプト教徒と、大多数を占めるイスラム教徒の「共存」は社会安定のカギを握る。エジプトの宗派問題は、2003年のイラク戦争後にイラク人が経験した血で血を洗う悲惨さや、内戦が続いたレバノンの複雑さにはほど遠い。だが、問題がないわけではない。

08年11月にカイロ北東部アインシャムス地区で起きた“教会襲撃事件”はその一例だ。

□ ■ □

「襲われた建物は、教会ではなくて地域のコプト教徒のための文化施設で、礼拝に使っていたわけではない。日曜日に約100人が集まり、賛美歌を歌っていたが、地元のイスラム指導者が扇動し昼過ぎに数百人が集まり、反コプトのスローガンを叫んで投石を始めた。暴徒は3000人ぐらいに膨れあがり、治安部隊が出動したものの、騒ぎは夜まで続いた」

コプト教徒の弁護士、ナビール・ガブリヤル(33)によると、襲われた建物はもともと繊維関係の町工場で、裕福なコプト教徒が3年前に買い取り、教会側に提供したのだという。ところが、イスラム教徒たちも対抗するかのように、昨年9月、すぐ隣の敷地にモスク(イスラム教礼拝所)の建設を始め、周辺には険悪な雰囲気が漂い始めた。

アインシャムス地区は伝統的にキリスト教徒が多数住み、とりわけエジプト南部など地方から首都に職を求めてやってきた貧困層が増えているという。だが、エジプトでは、教会の建設や補修には政府の許可がいちいち必要とされ、コプト関係者は教会の数が不足していると口をそろえる。

シュヌーダ3世は事件の翌日、教会として許可を受けていない建物で礼拝を行ってはならないとの声明を出し、事態収拾を図った。現場の当事者は否定しているが、何らかの礼拝行為が行われたとみても不思議ではないだろう。

□ ■ □

コプト系の日刊紙ワタン(祖国)の社主、ユーセフ・シドホム(58)は「コプトの状況は、欧米のキリスト教社会が『抑圧』と騒ぐほど悪い状況ではない」と念を押した上で、「仮に違法行為があったとしても、取り締まるのがムスリムの暴徒であってよいはずがない。背景に礼拝所をめぐる不公平な状況があることにも目を向けなくてはならない」と語る。

教会の警備という理由で配置された治安部隊は、逆に教会への監視の機能も果たし、ちょっとした建物の補修のための資材を敷地に持ち込むにも許可が必要となる。ましてや、新しい教会の建設となると、地元のイスラム教徒の反対もあり、なかなか政府の許可が下りないのが実情だ。

一方で、イスラム教のモスクは建設にほとんど制限を受けない。モスクの近くに教会を建てることは制限されている一方で、新しい教会のそばには「イスラム教の優位」を確認するかのように新たなモスクが建設される。コプト系の国会議員や一部のイスラム教徒の議員により、各宗教・宗派の礼拝所建設などを透明性を増した同一基準で扱うよう求める法案が提案されているが、議員の大勢はイスラム側から猛反発を受けるであろう法案の審議には消極的だ。

多数の著作で知られるリベラル派のムスリム知識人、ターレク・ヒッギー(58)は、「コプト社会はこの数年で宗教的に熱狂的な方向に変化したと感じている。しかし、それはサウジアラビアの厳格なワッハーブ派(イスラム教スンニ派の一派)が浸透するなどエジプト社会が宗教的に保守化したことへの反応だ。ムスリムが殻にこもれば、少数派のコプトもかたくなになる。イスラムの側にも原因がある」と指摘する。

1980〜90年代にかけてイスラム過激派が実行したコプトに対する組織的テロは、過激派の暴力放棄の流れの中で姿を消した。しかし、2006年にエジプト第2の都市、アレクサンドリアの街頭で起きた乱闘事件や、08年に中部ミニヤで起きた修道院と周辺住民の土地争いをめぐる衝突など、死者を伴う最近の“宗派対立”の主体が一部の過激派ではなく、普通の市民に移っていることを懸念する声は多い。=敬称略(村上大介)

【用語解説】コプト正教会
「コプト」とは、もともとエジプトを意味するギリシャ語で、7世紀のアラブ人イスラム教徒による征服以前は、エジプトの多数派だった。

伝承では、福音書を書いたマルコが1世紀にエジプトに宣教に訪れ、アレクサンドリアに教会を建てたとされており、コプト正教会は、それが起源であると主張する。コプトの初代教皇はマルコだとされている。

カルケドン公会議(451年)を承認しないことで分離した一派である。同公会議では、「キリストの人性と神性という2つの本質は混同することも分かれることもなく、ひとつの位格の中に有する」と両性説が採用され、「キリストの人性は神性に吸収された」という考え方が排除された。同公会議の結論を受け入れた「カルケドン派」は、カトリックやギリシャ正教などとして現在のキリスト教の多数派を占める。

コプト正教会は「非カルケドン派」とも呼ばれ、シリア正教、アルメニア正教、エチオピア正教などが「非カルケドン派」に属している。

イスラム征服以前のエジプトでは、独自のコプト語が使用されていたが、次第に日常言語はアラビア語に変わり、現在では、コプト語は礼拝などの典礼だけで使用される。

また、コプトやギリシャ正教など東方教会はいまもユリウス暦(旧暦)を用いており、中東ではキリスト教徒がこの時期にクリスマスを祝う光景がみられる。
 
posted by ナナシ=ロボ at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 中東・忘れられた場所で | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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