2009年01月05日

【ナイルの風 中東のまつりごと】(14)「シーア派の侵略、始まった」

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■スンニ派の著名法学者が警告
「シーア派が、もともとスンニ派の国々に浸透している。われわれは、シーア派の侵略からスンニ派の社会を防衛しなくてはならない」

現代アラブ世界の代表的なイスラム教スンニ派の法学者の一人で、比較的穏健なイスラム主義者として知られるエジプト人のユーセフ・カラダーウィー(82)が2008年9月、汎アラブ有力紙アッシャルクルアウサト(ロンドン発行)やエジプト独立系紙マスリルヨウムで、あまりにも唐突にみえるシーア派非難を炸裂させた。

「20年前、エジプトにシーア派など一人もいなかった。それが残念なことに、いまや新聞に寄稿したり、テレビに登場したりして声を上げるようになった」

「(スンニ派が多数を占めている)アラブの国々はシーア派に敗北した。エジプトばかりでなく、スーダン、モロッコ、アルジェリアなどもそうだ。さらにマレーシアやインドネシア、ナイジェリアといった(非アラブの)イスラム教国にも浸透している」

現在カタールに住むカラダーウィーは、エジプトに一時帰国した際の本紙とのインタビューでも、「(スンニ派とシーア派の違いは)法学解釈の違いの域にとどまる問題ではなく、基本的な教義にかかわる。シーア派は、迫害を受けたときに本当の信仰を隠す『タキーヤ(信仰擬装)』という考え方を用いてスンニ派の社会に入り込んでくる。われわれは、その危険性を十分に警告しなければならない」と強調した。
                 
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スンニ派の最高学府であるカイロのアズハル大学に学んだカラダーウィーは、エジプト発祥のイスラム原理主義組織ムスリム同胞団に所属したこともある。いまや同胞団の枠を超えたイスラム法学者としての地位を確立し、アラビア語衛星テレビ局アルジャジーラでは長年、視聴者からの質問に回答する「シャリーア(イスラム法)と人生」という人気番組を担当している。世界のイスラム教徒への影響力と知名度はナンバーワンといってもいい存在だ。

2001年にはアフガニスタンのイスラム原理主義政権、タリバンによるバーミヤンの仏像遺跡爆破を批判するなど「穏健・中道的」と評されることが多く、イスラム世界内部の融和に努める姿勢も示してきた。だからこそ、シーア派に対する極端なほどの現状認識と激しい非難は世間を驚かせたのだ。

エジプトでは多くの知識人から「宗派対立をあおる」といった批判も出た。だが、カラダーウィーはその後も「シーア派のイランが、シーア派が存在しなかったスンニ派の国々に対しシーア派の“布教”を推し進めている」と、今度はイランを名指しで非難し、「宗派抗争をあおるのが目的ではなく、むしろ将来のより大きな宗派対立や戦いから『ウンマ(イスラム共同体)』を守るためなのだ」と持論を展開した。
                 
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カイロのアハラム戦略研究所主任研究員、ディヤー・ラシュワーン(49)は「カラダーウィーは湾岸のカタールに住んでおり、シーア派で非アラブの地域大国イランの動きに敏感になるのは理解できる。湾岸のアラブ産油国はいずれも多くのシーア派住民を抱えている」と語る。

アラブ大国では唯一、シーア派が多数派(約60%)を占めるイラクで、スンニ派主導の世俗主義政権だったフセイン政権が米国により崩壊させられ、多数決の結果、シーア派が主導権を握る現体制が成立した。それが近い将来に崩れる可能性がない中で、湾岸諸国をはじめとするスンニ派各国は本格的な外交団を送らないなど、いまだにイラクと微妙な距離を置く。背景には、核開発を強行するイランが、イラクのシーア派を通じて地域への影響力を増大させることへの警戒がある。

ただ、湾岸から遠く離れたエジプトなどへの「シーア派の侵略」を警告したカラダーウィーの見方について、ラシュワーンは「やや誇張され過ぎではないか」とみる。

エジプトには「アーリルバイト(預言者の家族)を守る最高評議会」というシーア派団体がある。会長を務めるムハンマド・ディリーニー(45)は「エジプトはシーア派王朝だった時期もあり、その後もシーア派は少数派として存在してきた。カラダーウィーは、われわれをイランと結びつけて圧力をかけようとしているのだ」と反発する。

ディリーニーは「シーア派過激組織を結成しようとした」という理由で、治安機関に逮捕されたこともあるが、自身はまったくぬれぎぬだと主張する。

エジプトのシーア派人口は不明であり、ディリーニーによると、現在、エジプトにはシーア派によって運営されるモスク(礼拝所)は存在しない。あるシーア派の関係者によると、ほとんどの信徒は自宅で礼拝を行い、シーア派独特の宗教行事なども周囲を刺激しないように、ひっそりと行うのだという。=敬称略(村上大介)
                   

【用語解説】スンニ派とシーア派
イスラム教におけるスンニ派とシーア派は、いずれも唯一絶対神アッラーに帰依し、ムハンマド(570〜632年)が最後の預言者(神の使徒)であることを受け入れる点で、信仰の核心に相違はない。

しかし、その分裂は預言者の死後間もない後継者問題に端を発している。「シーア」はもともと「党派」という普通名詞。当初、預言者の権威は、ムハンマドのいとこで娘婿でもあるアリー(〜661年)とその子孫に受け継がれたと受け止めた人たちが「アリーを支持する党派」と呼ばれ、それが省略されて「シーア」と呼ばれるようになった。

シーア派はさらに分派しているが、アリーの子孫を霊的な資質を備えた無謬の「イマーム」として共同体の指導者とみなす点では共通した傾向がある。

一方、スンニ派はイスラム教徒の90%を占める多数派で、聖典コーランと預言者の言行録から導き出される「スンナ(規範、慣行)」に従う人々。コーラン解釈の最終的な権威を「共同体の合意」に求める点で、イマームという個人を無謬とするシーア派とは大きく異なる。

歴史上、シーア派王朝はいくつか成立したが、現在では非アラブのペルシャ人を中心としたイランが最大のシーア派国家であり、1979年のイラン革命で王制を打倒し、イスラム体制が成立した。スンニ派の王制や首長制をとる湾岸アラブ産油国は国内にシーア派人口を抱え、イランの「革命輸出」を警戒した。

シーア派の比率は国によって異なるが、サウジアラビアでは東部の油田地帯を中心に15%、アラブ首長国連邦で13%、クウェートで30%程度とみられ、バーレーンではスンニ派の王家に対し住民の60%はシーア派。しかし、湾岸地域から離れると、レバノンを除くほとんどの国でシーア派は実質的に存在していないとみなされてきた。
 

posted by ナナシ=ロボ at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 中東・忘れられた場所で | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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