2008年10月06日

【ナイルの風 中東のまつりごと】(3)ビデオで選挙監視 体制の壁の厚さも

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■不正の瞬間とらえた
女性たちのビデオカメラは、投票所から閉め出される有権者たちや、投票所で選挙監視に当たる判事が治安要員に恫喝される姿をとらえていた−。2005年9月に実施されたエジプト大統領選と同年11月の人民議会(下院)選は力で立ちはだかる体制の“壁”の厚さを如実に「記録」した初の選挙ともなった。

撮影したのは、エジプト国営放送の元アナウンサー、ブサイナ・カーメル(46)が中心となって立ち上げた「シャーイフィーンコム(あなたたちを監視している)」というドキュメンタリー制作集団。メンバーは、ムバラクの大統領5選阻止を掛け声に知識人や学生、左派活動家、ブロガーなど世俗派の市民運動家が混然一体となった民主化要求運動「キファーヤ(もう、たくさんだ)運動」の共鳴者たちだった。

女性を中心としたメンバーたちは投票日当日、小さなビデオカメラを片手に各地の投票所に飛んだ。

◆◇◆

「国営放送で官製のニュースを読み続けていたけど、自分を裏切っているようで我慢できなくなった。それで、数々の不正が行われていると誰もが知っている投票所に足を運んでドキュメンタリーを作ったらどうかと思い始めた」と、ブサイナは振り返る。

かつてブサイナの声は、多くのエジプト人を魅了した。1992年から98年まで続いた国営ラジオの人気番組「夜の告白」のパーソナリティーを務めたのがブサイナだった。この番組は視聴者からの電話を受け、ブサイナが話し相手となり、ときには人々の悩みを解決に導いた。夫婦間の不和や不倫、夫の暴力、レイプ被害者の心の傷、貧困をめぐる社会への恨み節、近所に住むイスラム、キリスト教徒間のもめごと…。さまざまな個人的「告白」を切り口に、エジプト社会の断面を浮き彫りにした。

カイロ市内の学校前で起きたイスラム過激派の爆弾テロで犯人を名乗る男が「無関係な子供を巻き添えにして後悔している」と電話してきたときには、ブサイナも緊張に声が震えた。

だが、7年間続いた人気番組に対し、放送内容を宗教的な観点から監督する局内の「宗教委員会」が「エジプトのイメージを傷つけた」と中止を勧告した。番組は突然、打ち切られ、ブサイナはニュースのアナウンサーに降格された。

◆◇◆

ブサイナは、2005年の選挙を契機に盛り上がったキファーヤ運動に共鳴し、政府メディアと縁を切って「シャーイフィーンコム」を始めた。彼女たちが撮った映像は、中東に大きな影響力を持つアラビア語衛星ニュース局アルジャジーラ(本社・カタール)などアラブの衛星放送や英BBCなどで流れ、注目された。「政府による票の操作」の実態の一端がようやく映像に収められたからだ。

「アラブのテレビ・メディアの中では、もっとも歯にきぬ着せぬアルジャジーラでさえ、エジプト政府を過剰に刺激することを恐れて、あえて放映を見合わせた激しいカットもあった。それでも十分に選挙の腐敗ぶりが伝わったはずだ」と、ブサイナは笑う。

◆◇◆

大統領選では10人の立候補者の中でムバラクが88%(政府発表)を獲得して当選した。一方、人民議会選では、非合法ながら事実上の最大野党勢力といえるイスラム原理主義組織、ムスリム同胞団系の独立候補が88議席(定数454)に躍進したものの、キファーヤ運動に代表された民主化要求のうねりは、本質的な政治構造の変化をもたらすには至らなかった。そして、運動はいま焦点を失い、当時の熱気と盛り上がりを失いつつあるようにもみえる。

「われわれは政党ではないから、選挙などの争点がなければ人々の声は表面に出にくい」
同運動の幹部、ムハンマド・アブルガール(66)=カイロ大学医学部教授=はこう認めつつも、「逆に政党でないからさまざまな層や立場の人が結集することができた。われわれの運動が社会に与えた覚醒効果は、いまも続いている。ムバラク大統領とその取り巻きにとって恐ろしいのは、宗教勢力ではなくて、われわれのようなリベラルな世俗主義的な勢力の結集だろう」と自信を示した。

今年80歳になったムバラクの任期が切れる11年の大統領選、10年に予定される人民議会選に向けて、もう一度、風が吹くのか。キファーヤ運動も新たな模索の時期に入った。=敬称略(村上大介)


【用語解説】ムバラク大統領の長期政権
1981年、イスラム過激派によるサダト大統領暗殺を受けて後継大統領に就任。元空軍パイロットで、72年に44歳で空軍司令官兼国防次官に昇進し、75年、副大統領に任命される。対外的には親米穏健路線を取るが、国内では、国会議席の3分の2以上を常に維持する与党・国民民主党(NDP)と弱小野党で構成される事実上の一党支配を通じ、強権体制を維持してきた。

就任から90年代末にかけてイスラム過激派対策に追われた面もあるが、サダト暗殺で布告された非常事態法は現在も適用されている。このため、政権に都合の悪い活動を恣意的に取り締まることが可能となり、憲法に保障された複数政党制、言論・表現の自由などが実質的に制限されてきた。

就任以来、副大統領を任命しておらず、後継者問題が注目される中、次男ガマール氏(45)を2002年にNDPナンバー3の政策委員会書記長に任命。にわかに世襲説が広まり、国民に反発が強まった。これが、04年のキファーヤ運動開始など一連の民主化要求運動の噴出につながり、穏健イスラム原理主義組織、ムスリム同胞団の伸長ともあわせて、将来への不透明感を増す結果となっている。
 
posted by ナナシ=ロボ at 21:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 中東・忘れられた場所で | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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