2008年11月17日

【ナイルの風 中東のまつりごと】(8)同胞団ブロガー 内部批判

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■時間は若い世代の味方だ
「『イスラムこそが解決だ』という選挙スローガンはやめるべきだと思った。一部の宗教的な人たちにしかアピールしないからだ」
宗教と政治は分けられないとし、イスラム教に基づく「社会改革」を唱えてきたエジプトのイスラム原理主義組織、ムスリム同胞団の若手活動家、マグディー・サアド(31)は、2005年の総選挙でも採用された伝統的なスローガンを、あっさりと否定した。

サアドは自らが属する同胞団の在り方を変えるべく内部から批判の声を上げる“同胞団ブロガー”の草分けの一人だ。本業は不動産会社の市場調査部門のマネジャー。自分のブログ「ヤッラ、ミシュ・ムヒンム(たいしたことじゃない)」では、“秘密結社的”な閉鎖性を今も併せ持つ同胞団のあり方や、組織幹部に女性が進出できない現状などを批判し、「若手活動家の造反」と注目された。

内部批判をネットで公開する真意を問いただすと、「もちろん僕もイスラムが包括的な教えであると信じている。しかし、キリスト教徒や世俗主義者もいるこの国で政治をやってゆくなら、ダアワ(イスラムへの呼びかけ)と、政治活動は分けて考えるべきだ」と、同胞団のドグマ(教義)の根幹にも触れるような発言へと踏み込んだ。

◆◇◆

イスラム復興の流れは、西洋植民地主義の影響で社会が脱宗教化、あるいは西洋化し、ムスリム(イスラム教徒)としてのアイデンティティーを喪失してゆくことへの抵抗として生まれた。1928年に設立されたムスリム同胞団は、創設者ハサン・バンナー(1906〜49年)のカフェでのつじ説法から始まり、慈善活動、識字学校や幼稚園などの教育活動、労働者の権利擁護などにも力を入れ、活動をモスク(イスラム教礼拝所)に限定しない幅広い宗教・政治・社会運動組織として拡大していった。

ムスリムは非ムスリムにイスラムへの帰依を呼びかけることが義務とされ、ダアワは本来、その呼びかけや布教を意味する。イスラム復興の流れの中では、イスラム社会の中で人々を正しい道に導く教宣活動としてもとらえられるようになり、同胞団にとってもダアワは幅広い社会活動をひとつの方向性に結びつける重要な概念である。

だが、“同胞団ブロガー”たちの多くは「ダアワと政治の分離」に賛成し、「キリスト教徒や女性は大統領には就けない」とした同胞団の政策綱領草案を批判する。

「変化の海の波間で」というブログを運営する歯科医のムスタファー・ナッガール(28)は「虫歯になれば歯医者に行く。ダアワはウラマー(イスラム諸学を修めた知識人)に、国政は政治のプロに任せればいい。応用の段階では専門性を重視すべきなのだ。いまの指導部は60〜70歳代であり、社会の変化に対応できないでいる」と語る。

同胞団は2005年の総選挙で大躍進したが、ナッガールはブログで、「良い教育者が優れた政治指導者になれるわけではない。政治に何の経験もないモスクの説教師が無理やり、立候補させられた例をみれば分かる」と手厳しく指摘する。

◆◇◆

ブログというネット時代の武器を手にした若手の同胞団員が組織の在り方を批判し、内外に大きな波紋を広げたことで、教導委員会(最高幹部会に相当)は主要なブロガーに呼びかけ、昨年末に「対話」を行った。約25人のブロガーが出席し、指導部は政策綱領の草案や議会での活動について説明したが、出席者の一人によると、指導部は“ブロガー現象”の意味を把握しようとするのに精いっぱいという印象だったという。

同胞団には1990年代、合法政党化を模索する中で、若手・中堅幹部が組織を飛び出し、「ワサト党(中道党)」という政党結成に動いたことがあった。創設メンバーにはキリスト教徒も加わり、イスラム的価値観を根底に保ちつつも幅広い国民政党を結成しようとした。だが、3度の政党許可申請は政府に却下され、「知的試みとしては興味深かったが、政治的インパクトはすでに失われた」(米カーネギー財団研究員、アムル・ハムザーウィ)といった評価の中で、ワサト党は苦しんでいる。

ワサト党とも重なってみえる“同胞団ブロガー”たちの主張は、将来、同胞団を中から変える力となるのだろうか。

政府系有力紙アハラムが発行する高級誌「外交政策」の上級研究員、ハリール・アナーニー(35)は、「同胞団ブロガーは、ムバラク大統領批判のタブーを破ったキファーヤ運動が発生した2004年以降の若者の動きと連動している。拷問や社会問題を告発する世俗主義や左派のブロガーと同じ感覚なのだ」と指摘した上で、「内部批判のブログはまだ『現象』にすぎず、『運動』にはなっていない。組織を根本的に変えるには守旧派の抵抗が大きすぎる。だが、旧世代はそのうち消えてゆく。時間は若い世代の味方だ」と語った。=敬称略(村上大介)


【用語解説】ワサト党(中道党)の結党とムスリム同胞団
同胞団内では1990年代前半、合法政党化の検討が具体化し、当初は同胞団の政治局を中心とした議論だった。だが、当時検討の中心にいた中堅幹部、アブー・アラー・マーディーらは古参指導部の慎重姿勢に反発し、政党設立計画を独断で発表。これがこじれ、96年、マーディーらによる政党許可申請強行と同胞団脱退につながった。

ワサト党は政治と宗教を区別し、慈善活動などは行わず、政治活動に特化する姿勢を明確にしている。このため、同胞団のような組織力には乏しい。活動原理としてのイスラムを狭義の「宗教」ではなく「文明」ととらえ、イスラム、キリスト教徒の価値観がそれぞれ尊重され、宗教による対立や差別を避けて国民統合を目指すとの立場を取る。

だが、96、98、2004年の3回の政党許可申請は、必要な党員数の不足や、「特定の宗教に基づく政党」などの理由で却下されている。ただ、00年にはワサト党が中心となったNGO「文化と対話のためのエジプト」が社会問題省の許可を受けており、表現や信仰の自由、多元主義などをうたってシンポジウムなどを続けている。
 
posted by ナナシ=ロボ at 22:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 中東・忘れられた場所で | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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