2006年08月06日

他人の褌:ヒロシマ

277 名前:スレストッパー ◆kazex.JA 投稿日:02/08/06 08:05
うざさは承知の上で今日だけは真面目なレスをつけたいと思う。
今日が何の日かご存知であろうか。知識としての説明は必要ないだろう。
だが1歩その先へ、
それが、自分の経験であったかもしれないことを想像して頂きたい。
向こう70年草木も生えないだろうと噂された広島の
その被害の大きさとその恐ろしさを想像して欲しい。そして更にもう1歩、 その苦しみがいつでも自分のものになり得ることを想像して頂きたい。


278 名前:スレストッパー ◆kazex.JA 投稿日:02/08/06 08:06
何もわからぬままに火に巻かれ体が溶けている自分を想像して欲しい。
妻が、子が、親が家の下敷きになったのを横目に、見捨てて逃げる
自分を想像して欲しい。自分だけ逃げるその恐怖と悔しさを想像して欲しい。
 
また、祖国から無理矢理に連れて来られ、家族と引き離され
強制労働させられるうちに被爆した自分を想像して欲しい。
差別故にその後の治療も施しも受けられず死ぬしかなかった自分を想像して欲しい。
 
筆舌に尽くしがたい生き地獄の中を
ようように生き延びた自分を想像して欲しい。
ようやく生き延びた自分に同朋から浴びせられる
『化け物!死 ね!』という言葉を想像して欲しい。
 
死と隣合わせの健康状態でようやく見つけた就職先を
「ピカの毒がうつる」と否やもなくクビになる自分を想像して欲しい。
苦しみの中に明るさと幸せをもたらした恋人との結婚を
「毒の血が伝わる」と有無を言わせず破談にされる自分を想像して欲しい。
 
業火の恐怖と家族を見捨てた罪悪感と、死と隣り合わせの体と
そこに降り注ぎ続ける差別の苦しみと怒りと悔しさと孤独の中で
ようように、伴侶を得た時の類稀なる喜びを想像してみて欲しい。


279 名前:スレストッパー ◆kazex.JA 投稿日:02/08/06 08:06
忘れることさえできない苦しみの連続の中で
希望と夢をもたらした、我が子の誕生を想像してみて欲しい。
やっと手に入れた幸せ。ごく普通にあるべきそれが希望、喜び、
そんな言葉で表すことさえできない幸せであることを想像して欲しい。
 
そして、その喜びがまたしても奪われる自分を想像して欲しい。
原爆症・白血病で日増しに弱っていく我が子に
何もしてやれない悔しさを想像して欲しい。
泣きながら荼毘にふし、骨を拾ってやろうと思ったら
その骨さえ残っていなかったことを
ーそれ程に我が子が病に傷め付けられていたことをー想像して欲しい。
 
次の子も育たないかもしれない。
そんな恐怖の中で子供が成人した喜びを想像して欲しい。
やっと得られた至上の宝が、健康に恵まれたにもかかわらず
2世、ということでまたしても同じ差別を受ける悔しさを想像して欲しい。
苦しみの連続の50年を経て、孫が生まれた喜びを想像して欲しい。
息子は健康だったのに孫が白血病になった憤りを想像して欲しい。
これらの苦しみが3世、4世へと受け継がれ
未だ終わることのない事実だという現実を心の隅に落して欲しい。

280 名前:スレストッパー ◆kazex.JA 投稿日:02/08/06 08:10
あれから57年。被爆1世の数は減りつづけ人々の記憶は薄れていった。
しかし今、広島市内には約9万人の被爆者がいる。57年前のことではない。
現在の認定された被爆者だけの数で9万人。原爆投下から57年経てなお、 これだけの数の被爆者がいる、ということは、当時名も知れず看取られることもなく 死んでいった人間の数はこの比ではない、ということに思いを馳せて頂きたい。
 
最後にもう1つ。
被爆者認定の基準が年々厳しくなり、原爆症に苦しむ2世以降の
被爆被害者らが「関連性が認められない」と医療補償などを前に
拒まれ続けている事実も付け加えておく。
 
これが自分の経験であったとしたら、
もしかして未来の自分の経験であるとしたら、忘れていられるだろうか。


281 名前:スレストッパー ◆kazex.JA 投稿日:02/08/06 08:15
今この時間広島ならしない全体が静寂につつまれている。
全てのテレビ番組が中継をしている。
今、私の住んでいる地で、中継はNHKだけだ。
 
黙祷


286 名前:スレストッパー ◆kazex.JA 投稿日:02/08/06 08:41
私は小学生の時同級生が死んだよ。中学の音楽担任と教頭も原爆症で休みがちだった。
高校の時、暮らすに禿の女の子がいたよ。オランウータンのような頭だったが
痛々しすぎて誰も話題にすることがなかった。かつらを被ることもなく、その頭
で登校し続けた
彼女は勇気ある女性だったが25歳で生涯を終えた。指の爪の黒い同級生がい
たよ。
気持ち悪いといじめられていた。3世であることを明かせば広島ではいじめられ
なかった だろう。だが、彼女は3世であることをひた隠しにした。差別に苦しみ
続けた祖父母の 固いいいつけだったそうだ。年を経て彼女は結婚し、生まれた子供を6歳で亡くした。
裏手に住んでいたおばあさんは花火を怖がる。そして蛍光灯をつけるたびに身を
すくめ顔を手で覆う。あの日の瞬間を忘れることができないのだと語った。
彼女の息子は某大手の電気メーカーに就職内定し、直前で取り消された。
 
私が身近で見聞きしただけでも数えあげればきりがない。
それだけたくさんの悲劇が、未だ残存し続ける。目をすむけてはならない事実
だ。


287 名前:スレストッパー ◆kazex.JA 投稿日:02/08/06 08:45
8月6日8:15 もの心ついて依頼20数年かかすことなく
1分間の黙祷をささげてきた。広島に生まれ広島に育った者としては
ごく普通の当然の行為である。運行中のバスや電車の中でさえ
人々は黙祷を捧げる。通行中の者は足をとめ、ドライバーは警笛をならす。
しかし後に広島を離れ他の地で暮らすようになって
愕然とした。8月6日を忘れていたのだ。広島に住み広島に生きる限り
忘れられるはずのないその認識は共通であり、常識であり
おしゃべりと化粧に余念のない女子高生でさえも一瞬手と口をとめ
厳粛な顔をするものだったのに、である。
 
「裸足のゲン」を知らない人がいることにカルチャーショックを受けた。
だが無理もない。私とて長崎における原爆の捉えかたは知らない。
投下時刻も記憶してない。国内でさえ所変るとこれだけ違うのだ。
国外ともなればどうだろう。
人が人を害する愚かしさとそれを容認し理由だてる者が国を動かす
恐ろしさを、それぞれがそれぞれに考えねばならない。
そして恐ろしさを想像できる者はわずかでも、それをまた誰かに
伝えねばならない。20数年を生きた、広島を離れてから数年経って
考えるようになった。これは広島で生まれ育ったものの義務である、と。
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このあいだ、巨大掲示板群「2ちゃんねる」で話題が出てGoogleで検索したら二件しかヒットしなかったので保存も兼ねてコピー。

しっかし、二年前あれだけ「2ちゃんねる」のあちこちで見掛けたのに、たったの二件と言うのもなぁ、ネットの話題が過ぎ去るのが早いのか。「ヒバク」を語り継ぐ事が難しくなって居る事と関係が有るのか無いのか。
明日は広島忌。

ここを読んで下さる方のほとんどは、一度読んだ事がある文章だと思うので表には載せませんでした。ティッシュ等、ご用意の上で「続きを読む」をどーぞ。
(以上、記:2004-08-05 19:48:18)

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┏┫ 泣 ┣┓<61年目であります。

「日本の核武装」が軍ヲタの妄想以上のなにかになりつつある今、二年前の記事をサルベージ。

ここを読んで下さる方のほとんどは、一度読んだ事がある文章だと思うので表には載せませんでした。ティッシュ等、ご用意の上で「続きを読む」をどーぞ。
 
posted by ナナシ=ロボ at 09:55| Comment(11) | TrackBack(1) | 軍事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私は被爆を経験したわけじゃない。
けれど「はだしのゲン」から始まって、私は色々な戦争中の本を読むことが出来た。広島・長崎の体験談もたくさん読んだ。
そんなわけで、私はまだ原爆の恐ろしい面・悲惨な面を他の同世代よりは多く知っているけれど、私よりももっと若い世代は、もしかしたらそういうことを知ることが出来ないんじゃないかと思った。もちろん書籍はたくさん出ているから、読むことはできる。でも、それを読んだあとの感想が「大変なことがあったんだな」というライトなものになっているような気がしてならない。

一昨年広島に行った。
生まれてはじめて原爆ドームを見た。
今でこそきれいに整備され、気もたくさんあってきれいな公園になっているけれど、この辺り一体は見渡す限り焼け野原で、川には死体がいっぱい浮いていたという。それを想像するだけで、私はやりきれなかった。

原爆投下というものに触れる機会も少なければ、そのものを考える機会も少ないんだろうなと思う。
日本の歴史上で凄惨な時間、それは過去に埋もれていくのだろうか。

>そして恐ろしさを想像できる者はわずかでも、それをまた誰かに伝えねばならない。
頭に浮かべると、息がつまりそうになる。
毎年この季節になると必ず聞く話。
けれど、忘れてはいけない話。

#イモコラムにも似たような文章掲載予定(多少いじる予定
Posted by しんく at 2004年08月06日 15:36
自分は2chは割と新参なので、このコピペは
初めてみました。
Posted by 目玉 at 2006年08月07日 02:33
>目玉さん

┗┫ ̄皿 ̄┣┛<オオッ、そんな方が一人でも居ればサルベージした甲斐が有りましたです。
Posted by ナナシ=ロボ at 2006年08月07日 17:59
 伝言聞いて、読んだよ^^;(某所)
まぁ、個人的には今更(良い意味でね)になってる自分に誇りもってる^^
差別はなくならない(少なくともうちらが生きてる間は)現実と直面しながらも、自分がそれに流されることなく人を人として見られる今にな・・・
そうなれた自分に誇りを持ちつつ、一生を生きる覚悟もできたしな(笑)

 その上であえて・・・
自己否定・同属嫌悪・その他諸々もある種の差別であり、それを「許せる」ようになる事が、真の意味での救いになることを差別の中で生きてきた方々に伝えたいね。
(もっとも馬鹿は嫌いですw)
まずは自分の周りを許し、他人を許し・・・そして自分を許す事ができる事。
(ただの開き直りは別だぞ^^;)
それが人を強くし、優しくしてくれる。

まぁ、此処を読んでいる方々なら理解してくれるだろうと信じて、コメント残してみた(笑)

PS・・・神なんてモノは最初に罪を作った大馬鹿やろうです(笑)
そんなモンが定めた罪なんぞ笑い飛ばして、生きる事に真摯になれば良い。
原罪なんぞ存在しない。
あるとするなら自分が作り上げたただの偶像だけ・・・
そして、偶像なんてモンは心の持ち方一つで簡単にぶっ壊せるモノだ^^
Posted by 敬 at 2006年08月08日 21:24
>敬
┏┫ ̄皿 ̄┣┛<ドモ。
ちと意味が判らなかったので、某所を読み返したら、8/7追記分が有った(苦笑)。

かくて、「核兵器−祈りの一歩先へ−」はボツ企画となったのでした、タッハッハ。
Posted by ナナシ=ロボ at 2006年08月08日 21:43
>8/7追記分が有った(苦笑)。
この手の話題は他人事では済まない立場な者でして^^;

>かくて、「核兵器−祈りの一歩先へ−」はボツ企画となったのでした、タッハッハ。
第二弾があったのか?w
日本の核武装論ならトコトン反論するぞ(笑)
(但し、議論する事には賛成ねw)

技術大国日本の核武装論&核の平和利用に関する議論ならば大いにやるべきだと考えていますんで、そちらの方向で宜しく♪
Posted by 敬 at 2006年08月08日 22:41
> 日本の核武装論

┏┫ ̄皿 ̄┣┓<ンー…
非核への「祈り」だけでなく、なにをすれば非核化出来るのか、そもそも非核化は可能なのか…みたいな事を書いてみようかなとオモタ。勿論、日本の核武装も選択肢として出るかな。
ただ、メインテーマが「差別」に「スライド」したので中止、中止〜(苦笑)。

因みにオラの日本の核武装化への意見は、
「防衛力の必要性(2004年06月24日)」
http://7c7c.seesaa.net/article/1146839.html
で、書いてあるです。
Posted by ナナシ=ロボ at 2006年08月09日 12:32
>オオッ、そんな方が一人でも居ればサルベージした甲斐が有りましたです。

私も一応、ここで去年初めてこの2chの書き込みを読んだ事を、今更ながら告白します(笑)。最低二人はいるという事で。
Posted by まわた at 2006年08月11日 10:07
>まわたさん
┏┫ ̄皿 ̄┣┛<ドモドモ。励みになります。
Posted by ナナシ=ロボ at 2006年08月13日 09:07
 最低三人目の一人です。(笑)
 長崎で育ったさやかは、8月6日午前8時15分をテレビの前で黙祷し、8月9日の午前11時2分を登校日の学校の教室で黙祷する子供時代を送りました。8月9日午前11時2分、市内の車はクラクションを鳴らし、湾内に停泊する船は汽笛を鳴らし、市内全域のサイレンは長くこだまします。その音が余韻を残しながら、山の合間で響き合いながら消えていく瞬間、市内の音が全く消えてなくなり、私達はその時間が確かに過ぎ去ったと分るまで、日常に戻る事ができませんでした。
 県外に出て、その日が何事も無く過ぎていくのを知った時は、本当に驚いた事を記憶しています。今年も暑い夏がやってきました。その時間を忘れないようにテレビをつけて・・・。黙祷。
Posted by さやか at 2007年08月06日 01:14
>さやか
┏┫ ̄皿 ̄┣┛<ドモドモ
一年に一人だけでも目にしてくれる方が増えるなら無駄じゃなかったと言う事で、たいへん有り難い事です。
Posted by ナナシ=ロボ at 2007年08月07日 18:43
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[web]1945年8月6日 午前8時15分、日本・廣嶋で(まつりごと と いくさごと)
Excerpt: 決して忘れないために。
Weblog: そらねっと通信局
Tracked: 2004-08-06 23:31
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