2009年02月16日

【ナイルの風 中東のまつりごと】(19)大統領の健康報道に「弾圧」

全文保管
 

 
■権力世襲、シナリオ進む?
エジプト大統領は神であり、神は病に侵されない。ムバラク大統領とその取り巻き、偽善者たちは大統領の病気を隠し、世の中はうわさ話の餌食となる。病気は深刻ではない。ただ、高齢が原因なのだ。しかし、大統領が軽い風邪で寝込んでも、国民は知らされる権利がある−。

厳しい政府批判で知られるエジプトの独立系商業紙、ドゥストゥールの編集長、イブラヒム・イーサー(44)は2007年8月、大統領、ムバラクの「健康問題」について1面で署名入りの論評を掲載した。大統領が党首を務める与党・国民民主党(NDP)から「虚偽の情報を流し、社会の安定を損ねた」と訴えられた。

訴状には、大統領の健康をめぐる「虚偽の報道」によって、エジプト証券市場から海外投資家が3億5000万ドルの資金を引き揚げ、経済活動に大きな損害を与えた、という容疑まで付け加えられていた。

その結果、イーサーは08年3月の1審判決で禁固6カ月、同年9月の控訴審でも禁固2カ月の判決を受けた。同じ時期、NDP幹部や閣僚についての記事で名誉棄損などで訴えられていた他の独立系紙編集長3人も有罪判決を受けたこともあり、体制批判の急先鋒であるイーサーに禁固刑が下った裁判は、エジプトのジャーナリスト職能組合や国内外の人権団体が「言論弾圧」と反発する騒ぎへと発展した。

ただ、大統領はその約1週間後の10月6日、突然、特別恩赦を発表して騒ぎを収拾し、報道官は「大統領は報道の自由の拡大を望んでいる」と説明した。

□ ■ □

1981年にイスラム過激派に暗殺されたサダトの後を継いで副大統領から大統領に就任したムバラクは在任28年目だ。古代エジプトの何人かのファラオ(王)と、19世紀前半にエジプトを支配し、富国強兵策で近代エジプトの基礎を築いた名君、ムハンマド・アリー(1769〜1849年)を除けば、ムバラクの在位期間はエジプトの為政者の中でも最長になったと、皮肉を込めて言われている。

イーサーの裁判は、国内では「言論の自由をめぐる戦い」ととらえられたが、体制側がいかに大統領の「健康問題」に神経をとがらせているかも浮き彫りにした。高齢の大統領の健康問題は、独裁と批判を受けるムバラク体制の後継者問題に直結するからだ。

ムバラクは副大統領を置かず、高齢になった今も大統領が不測の事態に陥ったときに誰が実質的に後を引き受けるのか、不透明なままなのだ。

「あの記事は、大統領の健康が悪いと書いたのではない。ただ、高齢になれば誰でも体調を崩すことが多くなると指摘しただけだ。米大統領選挙で共和党のマケイン候補の健康問題が追及されたように、一国の大統領の健康について情報開示を求めるのは、民主主義であれば当然だろう」

イーサーが問題となった記事を書く直前にも、大統領が意識不明に陥ったといううわさが、携帯電話のメッセージ機能などを通じて人づてに広がっていた。最近はこうしたうわさが頻繁に聞かれるようになった。
「ひとつ秘密を暴露しよう。大統領の両親はともに90歳以上まで生きた。大統領は長生きの家系だよ」。イーサーはこう言って、いたずらっぽく笑った。

□ ■ □

初の複数候補制を導入して05年に実施された大統領選挙で5選されたムバラクが、11年の次回選挙を迎えるのは83歳。ただ1人、巷(ちまた)で“後継者”として具体的に名前が挙がるのが、次男のガマール(45)だ。

大統領5選に反対し、初めてエジプトで「反ムバラク」を公に唱えた市民運動「キファーヤ(もう、たくさんだ)運動」の創始者の一人で、弁護士のイサーム・イスラムブーリー(58)は、「逆説的だが、ムバラク政権が04年以降に取り組み始めた“民主化改革”の裏には、ガマールへの権力世襲の計画が隠されている」とみる。

00年にNDPに入党したガマールは02年に党の中枢である政策委員長に就任、現在は副書記長も兼ねている。元軍人の父親と異なり、ビジネス志向で経済改革を進めるガマールが大統領になるには、党を足場に“合法的”に選出される必要がある。だが、05、07年の2回にわたった憲法改正では、野党や独立候補に不利なさまざまな制限が加えられ、同時に「判事による選挙監督」も廃止された。

ガマールは繰り返し、大統領になる意思はないと発言し、大統領も権力世襲を否定している。しかし、NDPはガマールの次期大統領選出馬のシナリオに向けて動いているとみる専門家は多い。
「父親の長期政権による統治システムの硬直化と、息子による急激な市場経済主義の導入による社会のひずみの拡大に対する国民の不満は爆発寸前だ。後継者問題が不透明なことは、大統領の健康をめぐるうわさの流布よりも国に与える損害は大きい」と、イスラムブーリーは言う。=敬称略(村上大介)


■活字メディア“自由化”で活況
有力紙アハラームやアフバールなどの政府系の新聞が依然、圧倒的な発行部数を誇るが、ムバラク政権は2004年ごろから一定の自由化を認め、独立系商業紙が一気に増え始めた。独立系紙では、04年発刊のマスリルヨウム(今日のエジプト)とイブラヒム・イーサーが編集長を務めるドゥストゥールが人気を二分する。

ドゥストゥールは、政府系紙の記者だったイーサーが1995年に出資者を募って発刊した商業紙のさきがけだったが、98年から05年まで発行停止処分を受けていた。野党色を鮮明にする商業紙も多く、ムバラク政権への国民の不満を背景に商業紙が伸長、政府系紙は押されている。

2月初めには、エジプト最大手出版社が出資し、政府系紙での経験が長い著名ジャーナリストを編集長に迎えた高級紙志向のシュルークも発刊されるなど、エジプトの新聞業界は世界的な新聞離れの傾向とは逆に、活況を呈している。

活字メディアの規制に関して、政府は95年、規制を強めたプレス法93号を導入、同年だけで99人の記者が逮捕された。

ムバラクは05年の大統領選で「記者が、書いた記事で刑務所に入れられることがあってはならない」と語り、法改正を約束していたが、与党の国民民主党はこれを無視して、06年にさらに罰則を厳しくした法改正を行った。
 

posted by ナナシ=ロボ at 13:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 中東・忘れられた場所で | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/115369176

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。