2009年05月13日

なんだ、そりゃー(汗)<若泉敬@週刊朝日

沖縄返還38年目の真実
谷内正太郎・政府代表が語る「核再持ち込みの密約はあった」


┏┫; ̄皿 ̄┣┓<ツラツラ〜と書いてっけど、若泉敬が青酸カリ自殺だったって初出だよね?俺が不勉強なだけ…?
 
以下、該当箇所保管。
 

そして、96年7月27日。

若泉は鯖江市の自宅に5人を招いた。谷内のほかに、著作権継承者に指名された世話役の鰐渕、遺言執行者である弁護士の田宮、文藝春秋の担当編集者と翻訳者である英国人教授である。

5人は2階の居間の大きなテーブルで若泉を囲むように座った。すると、A4判で7ぺージに及ぶ英文の出版に関する取り決め文書が差し出された。冒頭には「合意議事録(覚書)」と印字されている。

〈若泉敬にとって英訳版著作の公刊が本日この“集まり”によって保証確認された以上、最早志半ばにして斃れるのはあり得ないと深い安堵を覚えている〉

死をほのめかすかのような文章の末尾に、全員が署名した。若泉はおだやかな笑みを見せた。まもなく、鰐渕と田宮をのぞき、谷内たちは帰っていった。

若泉はベッドに横になると、冷蔵庫から「屋久島の水」を取ってこさせた。乾杯のため、自分のコップにも少しだけ注ぐ。

「これは長生きする水なんですよ」

3人がコップに口をつけた直後だった。若泉は突然、嘔吐し、全身を激しく痙攣させた。押さえても止まらない。秘かに用意していた青酸カリを水で流し込んだのだ。摩文仁の丘で思いとどまってから2年、若泉は言葉どおり「自裁」した。

しかし、66歳の最期はメディアには「がん性腹膜炎」と発表された。

posted by ナナシ=ロボ at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ合衆国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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