2009年08月16日

生活の知恵@日本帝国陸軍

8/16日付けの赤旗に、ちょと興味深い戦争証言が載っていたので打ち込みの上、保管。まあ、こういった「生活の知恵」つーのはどこの時代、どこの組織でもある事でしょう。命のやり取りをする戦場では少々「果断」な形で噴出するだけの話です。

因みに、この証言を行っている安孫子氏は、同時にこの様な方でも有るのですが(苦笑)、そういった事情とは関係なく、俺はこの証言は恐らく真実であろうと思いました。
 
「伝えよう 侵略戦争の真実」中国戦線(2)

処分」された古年兵
安孫子登さん(86)は北海道函館市で生まれ、国鉄函館車掌区の車掌として働いていた1943年3月、20歳で旭川の部隊に入営、同年4月から中国山東省菜蕪県で衛生兵としての任務につきました。

(中略)

45年4月、十数人が中隊から分駐させられ、炭鉱跡の警備につきました。
この兵隊のなかに古年兵がいました。中隊のなかで問題を起こし、やっかい者になっている乱暴者です。食事のまかないをしている補充兵に「料理が悪い」と文句をつけ、スリッパを振り上げて激しい暴力をふるうようになっていきました。

◆弾はどこから
補充兵は「もうがんできない。中隊に戻してほしい」と言い出し、古年兵を除く話し合いをしました。隊長は「中隊長は『(古年兵が)あまりに手に余ったら処分してもよい』と話していた」と言いました。

「処分」のやり方を相談しましたがよい案は出ません。しかし、答えは出たのです。
数日後の早朝、宣撫行軍(警備のための行軍)に出ました。先兵として軽機関銃手が3人、次いで本隊、安孫子さんは後尾という隊列でした。隊列が部落を経て、近くの丸坊主山の山頂に着いたときです。

先兵の軽機関銃が発砲します。「敵だ」の声、そのうちに「戦い」の終わりを告げる硝煙の臭い。
安孫子さんは「一件落着」したのだと即座に感じました。「戦場では弾は前からだけ飛んでくるものではない」のです。

隊長は中隊本部に「宣撫行軍中に敵側兵と交戦、戦死1人」という電話を入れ、古年兵は中隊に引き取られ葬儀が行われました。
これが安孫子さんの見た「天皇の軍隊」の姿でした。(竹腰将弘)

しんぶん赤旗 2009年8月16日(日)A版14面

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posted by ナナシ=ロボ at 16:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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