2008年04月19日

植木徹誠

赤旗に植木等御厳父、植木徹誠和尚に関するささやかな記事が載っていたのでテキスト化して保管。
07年3月28日に80歳で亡くなった植木等さんは、日本共産党が発行していた写真誌「グラフ・こんにちは」で上田耕一郎副委員長(当時)と対談しています。

そこで父親を「若いころキリスト教の洗礼を受け、そのうち仏弟子になり、しかもその間に社会主義者として労働運動、部落解放運動の真っただなかに飛び込んでいくといった具合に生きた人」と紹介し、「お寺の住職が四年も寺を留守にしますと、寺としての格好がつかない…結局、小学校から帰ると僕が衣に着替えて近所まわりをする」「等さんのお経ではってんでお布施を値切られて(笑い)。…おやじが刑務所に入って生活が苦しくなった」と話しています。

これに上田氏が「僧侶でありながら、いや、本物の僧侶だからこそなのかもしれませんが、『戦争は集団殺人だ』という話を、お子さんたちにもするし、檀家へいってもする、で、そのたびに警察に検束される、ということのくりかえしだったそうですね」と合いの手を入れてます。

植木徹誠(俗名は徹之助)は1895年に三重県に生まれ、現在の伊勢市にあった真宗大谷派常念寺住職だったころに治安維持法違反で4年近く投獄されました。戦後は、東京・目黒区で民主商工会会長や国民救援会支部役員などを歴任。62年に日本共産党に入党し、78年に83歳で逝去しました。

(植木仁の経歴なので略)

日本宗教者平和協議会発行の「宗教と平和」07年8月号には、52年のメーデー事件で死亡した法政大学生の「葬儀デモ」の先頭で経文を唱えた一人が植木等さんだった、という黒川万千代さんの追悼文が寄稿されています。(平)

しんぶん赤旗・2008年4/19日付12面
日本共産党 知りたい聞きたい

posted by ナナシ=ロボ at 21:48| Comment(0) | TrackBack(1) | このくにのすめら | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Excerpt: 鎌倉散策のつづきです。 さて、私たちはいくつもの寺をめぐったわけですが、 以前から漠然と抱いていた疑問に、 今回、真正面から向き合うことになりました。 写真(↑)は、円覚寺の100観音のお一人です。..
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