「せんそーちゅー、物のすくなかったころ、おじーさん、おばーさんは、こんな物を食べていたんですねー。せんそーは食べものもなくなるんです。せんそーはいけないんですねー」
「はーい」
とかやる訳です。ここで
「センセー、アメリカは二度の大戦、朝鮮、ベトナムと参戦しても、物資の欠乏を起こさなかったばかりか、時期によってはGNPがプラス成長してまーす。せんそーがいけないんじゃなくて、国力の問題じゃないですかー」
とか言うと30年前だと校長室に呼ばれます。今でも、やるなよ。いいか!絶対やるなよ!by ダチョウ倶楽部。
で、この手の「戦時中の食事を体験」と聞くと、個人的には、つい思い出してしまう事があります。
ふぐすまのどっかでこの手の催し物をやったローカル・ニュースだったんですが、作った後、とうぜん試食となりますわな。
お年寄りの人達は「懐かしい味ですね」「あの頃を思い出します」とか言ってるんですが、どうも表情がおかしい、なにやら複雑な表情をしておられます。あれあれと思って見ていると、子供がインタビューを受け、満面の笑みで一言
(^▽^)ぉぃしぃ
「戦時中の貧しい食生活を偲ぶ」主催者の企画意図まるつぶれ(苦笑)。
お年寄りが複雑な表情だったのも頷けます。「むかし食ったのはこんなに美味くなかった」と内心で思っていたのでしょう。
これ、実はちょと考えれば、なんでもありません。先ほど紹介した松戸市のページにはレシピも載っています。
料理をする方が見て頂くとお判りだと思いますが、けっこう濃いダシを使っています。通常の味噌汁の二倍くらいの濃さでしょうか。
なんでもそうでしょうが、何かをあるていど作り慣れるとツボが判ってきます。そして、一度ツボを掴むと、意図的でもそれを外すのは大変に難しいものです。レシピを依頼されたり、市民講座等で料理を指導される方は、とうぜん料理の得意な方が多いでしょう。「戦中の料理を再現して欲しい。付いては使う調味料は醤油だけ」とかいう注文が来て、せめてもと言う事でダシを強くしてしまったのではないかと想像するのですが、どうでしょうか(笑)。
m9┫ ̄皿 ̄┣┓<と、ほのぼのネタのまま〆ると思ったら大間違い。
「黒焦げ弁当」再現 資料館で販売
広島市中区の原爆資料館東館で売店を営む市母子寡婦福祉連合会が、被爆死した少年の遺品として資料館に展示されている弁当を再現し、販売を始めた。
持ち主だった広島県立広島第二中(現観音高)一年折免滋君=当時(13)=は建物疎開の作業中に中島新町(現在の中区中島町)で被爆。捜しに来た母親のシゲコさん(故人)が、真っ黒に焼けた弁当箱を抱えた遺体を見つけた。
同会はシゲコさんが生前に残した証言などを基に当時の味を再現。米と押し麦、大豆のまぜご飯と、ジャガイモと切り干し大根の油いためを容器に盛り、「しげるちゃん弁当」と名付けた。

これが

こうなる
┏┫; ̄皿 ̄┣┓<「前」の画像が、現代では見慣れたプラスチックに入ったおチープな弁当なのが、逆にたいへん生々しい…





512kcal、戦時中も栄養を考えていたという、なかなかのレシピですねー。
思春期の女の子にはちょっと気になるかも。