2006年05月23日

書評「真相―神戸市小学生惨殺遺棄事件」

(mixiプレビューより転載)



、「検事調書の虚構をあばく衝撃の告発」という触れ込み通り、なかなか刺激的な本である。
警察への「挑戦状」と少年Aの筆跡が一致するとは鑑定出来ない事。
首の切断に金ノコを使ったという自供なのに、「一様で滑らかな切断面」と表現されている検死報告。死体がかなりの低温で冷却されていた事を示す死斑。
犯行が行われたとされる時刻、現場は警察とPTA合同の大人数での捜索が行われていたというアリバイ。
弁護士の腕次第では、無罪になったんじゃなかろーかと思う程の内容である。

で、読み進めていく内に一つの疑問が浮かび、どんどん強くなっていった。

 −じゃ、なんで犯行、止まったの?−

この書は、それには答えてない。ネットで少年Aの冤罪を訴えるサイトにも載っていない。考えりゃ、当然である。彼らにしてみれば「どこかに居る『真犯人』を捕まえて、訊いてみなけりゃ判らない」だろうし。


冤罪には三つの面がある。

A.加害者とされた者の人権
B.警察、司法への不信
C.犯罪者(真犯人)の放置

Aは良く声高に叫ばれてるが、俺は、B、Cの方が遥かに影響が大きいと思っている。
警察と司法への不信が高まり、国民が「自衛」や「私刑」という道を選択した例は、多々有る。そして、そうなった国や地域は、ほとんどの場合「無法地帯」と呼ばれ、犯罪が多発する。
Cに付いては説明不要だろう。

「Aだって充分、問題じゃないですか!貴方だって、いつ犯罪者にされるか判らないって事ですよ!(声:福島瑞穂)」と言うて来る人が居るかもしれない。だが、大方の人はそんな心配はしない。警察と司法への信頼が有るから、やってもいない犯罪で有罪になる事など無いと信じている。なにも根拠、無いが。

話を戻して、今回のが神戸連続児童殺傷「冤罪」事件とするなら、どうだろうか。

Aは、ひとまず置く。

Bに関しては、そのまま成長すれば、知識と経験を積み更なる残虐な犯行を続けたかもしれない「殺人鬼」を捕らえ、伝えられる所では更正に成功したとさえ言う。少年A冤罪説は、世の主流とはなっていない。この事件に限れば、警察等への信頼は高まったと見ていいだろう。

問題はCだ。
「校門の上の首」の衝撃で他の事件の印象は弱くなってしまったが、「犯人」は少女3人をハンマー等で殴り、その中の一人を死に至らしめ、別の少女を刺している。2人を殺し、3人を傷付け、警察へ嘲笑まじりの挑戦状を送り付けている。僅か3ヶ月の間にである。
この「犯人」は、少年Aの逮捕後ぱたりと犯行を止める。贖罪羊を作り上げた事に満足したのか、世間の騒ぎを見た上での畏怖故か、それは判らない。


つまり、少年Aの逮捕、有罪で、収支はプラスになったのだ。

マイナスは、万引きを繰り返し、ナイフを持ち歩き、学校から不登校を言い渡される様な不良少年が何年か拘束され、家族がマスコミを尖兵とする世間にズタズタにされ、少年Aが死ぬまで法の監視下に置かれるだけである。
少年Aの親戚まで含めても、たかだか数十人の人権が、著しく、あるいは緩やかに侵害された事だけと引き換えに、凶悪な犯行は止まり、警察、司法、犯罪者更正システムへの大多数の人々は信頼は高まった。社会の総体としては、完全にプラスだ。

このプラス収支が、崩れる可能性は二つ。
一つは、少年Aが無罪を主張し始める事。だが、逮捕直後のバッシングを体で憶えている家族や親戚は、容易に頷くまいし、定期的に少年Aと家族に接触している筈の役人が全力で妨害するだろう。この国の役人は、事を荒立てない様にする為の手管−恫喝から懐柔に至るまで−に長けている。

もう一つは「真犯人」が再び犯行を開始する事だ。
もちろん「真犯人」には、少年Aも含まれる。
posted by ナナシ=ロボ at 23:07| Comment(3) | TrackBack(0) | 浅学非才でございますが | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
すごく気になるが、今、本を読んでいる暇がない。
でも、たぶん、読んでももやもやとした気持ちに答えは出ないだろうな。

忘れ去られることはないだろうけど、思い出したくない事件だ。
Posted by 未羽 at 2006年05月24日 06:26
>−じゃ、なんで犯行、止まったの?−

この本は未読だし、事件の詳細や残された矛盾についてもナナシのレビューを読んでからぐぐってみて、アレコレ読んで初めて知ったのだけど(^^;

真犯人が“頭の中で創り出されたキャラクター”的なものだったらどうでしょう。ある人物が自分で創り出したキャラクターになりきってやった、ってことですが。ホントは実在しなかったモノがA少年というカタチを得てしまったのなら、もともと“キャラを創り出した”人物はもうそれを演じる必要もなく、ただ独り歩きを始めたそれを眺めていればいいわけです。具現化したキャラクターが身柄を拘束されれば、犯行が続くわけありません。

あー、にわかじこみでミステリ好きが思いついたことを書いてみただけですので、あんまり怒ったり突っ込んだりしないでね(笑)
Posted by かず at 2006年05月24日 15:22
通り魔事件は神戸でその後も頻発してるで
Posted by 神戸 at 2013年02月23日 11:21
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