気になったのは、ここ。
忍び寄る老いとの闘いも記録されている。75年2月17日、73歳の天皇は祈年祭の最中、賢所(かしこどころ)の中で2度倒れていた。その後の新嘗祭(にいなめさい)でも卜部侍従が天皇の体を支えており、高齢の天皇に祭祀がいかに過酷になったかがわかる。
天皇が強い意欲を示していた戦後初の沖縄訪問は、体調の悪化で中止に追い込まれる。
87(昭和62)年9月14日、「手術にふみ切る線で沖縄もムリと判断。(略)ついに来るべきものがきたということだが暗雲たれこめうつうつとして楽しまず 今後の諸問題のことが頭をよぎる」。
腸のバイパス手術を受けた天皇は国事行為や公務への復帰に執念を燃やす。しかし、ブレーキをかける卜部侍従に「突然摂政にした方がよいのではと仰せ」(88年2月9日)。そんなことなら、天皇が重篤な場合などに立てられる摂政を決めたらどうか、といらだちをぶつけている。
ココンチの人達、自分達の「生きていける」−生活できるという意味だけでなく、正に命を取られるかどうかも−のは、民草からの「なんとなくエライ」という気持ちだけ、それしか無いってのが身に染みついてんだから、役割あたえられたら頑張っちゃうに決まってんだよ。適当な所で隠居できる仕組みに戻さねぇと大変だべ。
俺、85年のつくば科学万博でバイトしてた時、4階から「見下ろす」というまことに不敬な形で昭和帝のお姿を見たのだが、「品位」とかいう訳の判らん理由で杖も使えず、車椅子も使わず、小さな歩幅で少し震えながら進んでいく猫背の老人は、本当に痛々しかった。
年寄り、大事にしねぇ国は、滅びるぞ!!
m9┫ ̄皿 ̄#┣┓





あの方のさいごはただの生き物ヲタ
じいちゃんに戻してあげて欲しかった
これは知らんかったです。
マジでー!?
本当に品位が備わっていれば、杖を使ったくらいで失われるようなもんじゃないと思うんだが……その考え方、逆に失礼なんじゃないかと思ったり。
体中の血が三回も入れ替わるほどの輸血とかありましたもんねぇ…今上陛下の時は、出来る限りご負担の少ない選択を期待したいものです。
>うと嬢
昭和帝ご自身の希望も有ったそうですが、最後まで杖も車椅子も公の場では使わなかったそうです。